『Nocotta』

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【五.再生】

翌早朝、鈴木と筑前竜は人気のない公園にいた。
いくつかの芝生の丘が連なる、それなりの広さのある公園だ。

六日後に照準を合わせると言っても、稽古場もなければ稽古相手もいない。
既に引退した力士の稽古に付き合ってくれるような人脈もない。
逃げ出すようにして去った昔の部屋には、顔を出す気にさえならない。
かつての師匠だって、天才と呼ばれながら大成しなかった筑前竜を、まるで最初からいなかったことにするかのように、マスコミの問いにも何一つ答えることはしなかった。
話すのはただ、高都筑のことばかりだった。

となれば、できることは、基礎体力作り、基本動作の反復…ぐらいのものだ。

股割りの後は約二時間、黙々と四股を踏み、すり足をする。鉄砲柱がないので鉄砲は無理だが、これは仕方がない。

鈴木は、その筑前竜の傍らで、軽い運動をしたり、居眠りしたりしている。
別に鈴木が居眠りしたって、筑前竜は腹を立てたりはしない。相撲を取るのは自分だし、これは自分の為にやっていることだし、鈴木には、ただチャンスをくれたことだけで十分感謝していた。

三年近いブランクがあると、さすがに最初は体が重かったが、すぐに昔の感覚が蘇ってきた。本番になればきっと体が動いてくれる…そんな、確かな感触をつかむことができた。

午前十時過ぎに、朝昼一緒の食事をとり、食後には昼寝をした。

こんなことをやっていて勝てるかどうかなんて、誰にも分からない。 未来の保証なんて、どこにもありはしない。

でも、自分を追い込んでいく今の筑前竜には、生きている実感があった。これは、三年間全く感じることのできなかったものだ。

どうせ明日も今日と大差ない…そんな風に思っていた頃は、世の中の全てが退屈で味気ないものに見えた。
今日のがんばりで、一週間後の未来を変えられるかもしれない…そう思える今は、目にする全てのものが生き生きと、そしていとおしく感じられた。
未来を変え得る手応え、それがただただ、嬉しかった。

金曜日、午前中は前日と同じような感じにこなし、午後はダンス教室でダンスをすることにした。
三年間眠っていた体の「キレ」を取り戻すには、楽しく音楽に合わせてダンスするのがいいんじゃないか、という鈴木の提案だ。

五感をフルに使って状況を感じ取り、理屈であれこれ考える前に体が反応してくれるようにするには、筋力アップだけでは不十分だ。
筋力だけでは、体は動かない。

午後三時、教室に鈴木とレギュラメンバーである六人の生徒、そしてジャージ姿の筑前竜が揃う。
生徒達は「いったい誰?」という目で筑前竜を見ている。
妙齢の女性達の視線を浴びて、筑前竜はやや緊張の面持ちだ。

そんな微妙な空気を、まずは鈴木が破る。

「えーと、まずはウチの生徒達から紹介しようか。」

そして一人一人紹介していく。

大城知美(おおしろ・ともみ)。梅干をこよなく愛する「京女」。

今井来代(いまい・くるよ)。あまり後先は考えない。座右の銘は「結果オーライ」。

逸見虎子(いつみ・ここ)。悲しいことがあると、夕焼け空をスケッチする。実は「女優志望」。

小田中光(おだなか・ひかり)。我が強くて面倒な女。実は相撲協会「理事長の娘」。

糸石恋(いといし・れん)。農学部の学生。非常に大人しく、虫も殺せない。実家は農家で、「農作業」をこよなく愛す。

下村真知(しもむら・まち)。「世話好き」で、細かいことは全部取り仕切ってくれる。

と、六人紹介してみたが、理事長の娘光が不満そうな顔をしている。

「何か、紹介の仕方に悪意がありません?」

あ、フォローを入れるの忘れてた。

「い、いや、まあ、それはきっと取り方の問題だよ。やっぱり、人間、自分を持つって大事だよね。周りに流されてばかりの人間って、つまんないじゃん。」

まだ不満顔だが、ここは深みにはまる前に話を進めてしまおう。

「で、で、こちらが元関取の筑前竜。それでな~んでまた、筑前竜がここにいるのかと言うと…」

相撲部屋を作ろう思いついたこと、実は憧れたのはバックダンサーではなく「どすこい!」だったこと、相撲協会に行って、高都筑を倒せば、相撲部屋を作れて女子団体戦の決勝トーナメントにも出られる、という約束を獲得したことを話した。

みんな大人しく他人事のように聞いている。まあ当然の反応ではあるが…さて、一番面倒なことをどう切り出せばいいのか…。

ま、ストレートに言うしかないよな。

「でね、相撲部屋を作れた暁には、みなさんに是非『女子相撲の力士』になって欲しいと思う次第なんですね、これがまた。」

ようやく生徒達、自分達が「傍観者でなく当事者にされようとしている」ことに気付いたようだ。

しばらく沈黙が続く。鈴木は一人一人の顔色をうかがう。もう少し気分を乗せるような事を言った方がよさそうだ。

「いや、みんなのダンスで鍛えたパワーとキレ、リズム感を持ってすれば、結構いいとこ行けると思うんだ。筑前竜という心強い味方もいるし。それに、いきなり決勝トーナメントだよ。全国区だよ。こんなチャンス、最初で最後だよ。全国生中継、みんないきなりスーパースターさ!」

こんなチャンスは最初で最後、という言葉に、心は動きつつあるようだ。盛り上がりつつある女子相撲に、みんなそこそこ高い関心を持っている。
やればできるかもしれない…そんなかすかな自信が表情ににじみ出ている。

「何か毎日、乾いてるんだよね。」

女優志望虎子が呟くように言う。

「夕焼け見ながら思うんだ。空はあんなに色付いてるのに、しかも毎日色が変わるのに、自分の日常は、毎日変わり映えしない無彩色だよな~、って。」

女優志望虎子の感慨には、みんな共感しているようだ。鈴木自身も感じていたこの「乾き」は、今という時代に皆が抱えている共通の感覚なのかもしれない。

「もし、これで私の日常に色付けできるなら…情熱を燃やすことができるのなら…私は、やってみたい。」

女優志望虎子は、心を決めたようだ。

「虎子がやるんやったら、私もやるかな~。面白そうやし。」

京女知美が追随する。

「ほなウチもやんで。意外とぽんぽーんと優勝できてまうかも知れへんしなあ。そしたら賞金とかウマウマやで。」

結果オーライ来代もお気楽に参加表明。

「みんなにおいしいチャンコ食べさせてあげるよ。前、チャンコ料理屋で働いてたことあるんだ。」

世話好き真知も乗ってくれて、だいぶいい感じに盛り上がってきた。

「あの~」

農作業恋がおずおずと手を挙げる。

「相撲取ったら…男の子にモテるでしょうか?」

どっかーん。大人しい農作業恋の意外な質問。しかも、かなり際どい所を突いてきた質問だ。この答え如何で相撲部屋の成否が決まる。

鈴木は、つとめて平静を装いながら、答えた。

「え、えーと、モ、モテるよ、きっと。マスコミはモデル体形を持てはやしてるけど、実際は、世の中の男の子、それもセンスのいい男の子の八割ぐらいは、ぽっちゃり系が好みなんだよ。だから大丈夫、相撲で男心をワシヅカミだ!」

必死の答えだったが、農作業恋がはにかんでいる。何とか通じたようだ。これで、農作業恋も相撲を取ってくれそうだ。

「いや~、どうなることかと思ったけど、みんな前向きに受け止めてくれて、よかったよか…」

「私はやんない!」

と声を張ったのは、理事長の娘光だ。最後に一番面倒なのが残った、と焦る鈴木。

「いや、でも君の腕力なら、確実に即戦力、大関級だよ。だから…」

「私はモデル体形がいいの!ダンスだって、ダイエットのためにやってきたんだから!」

「でも、関取の血を継ぐ君なら…」

「私はパパみたいになりたくないの!」

そう言って、理事長の娘光は、教室を飛び出していってしまった。

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